24日(木)
石造りのホールの中で
いよいよ本格的な演奏旅行のはじまりだ。いつまでもそわそわしているわけにはいかない。練習場所であるマトカマヤホールまでは、集中力を高めながら歩いていった。マトカマヤホールは、旧市庁舎前の広場に面した、何百年も前の商人の倉庫をそのまま使っているという建物だ。ステンドグラスから光が差してうっすらと明るいさまは、倉庫と言われても信じられないほどの雰囲気だ。
常任指揮者の仁階堂先生の指揮のもとで歌い始めると、石造りの中で、これまでに体験したことのない響きに包まれた。初めはこの響きにEvergreenはとまどいを隠せなかった。ただ響くというだけでない、経験したことのないような透明感のある豊かな響きに、これが本当に自分たちの出している声なのかと思う。
その響きは、徐々に自分たちに近しいものとしてなじみ始めた。この心地よい新鮮な響きを自分たちのものとして感じた瞬間、Evergreenは、日本人としてエストニアに歌いにきた誇りをも感じることができたのだ。このときのEvergreen一人一人の表情の変化は、本当に劇的なものだった。私は、その光景を思い出すと、生きる喜びとはこのようなものかと思わずにはいられない。
オープニング・セレモニー
練習を終えて、オープニングセレモニーに向かった。参加45団体のうち10団体が各国の歌を披露するセレモニーで、Evergreenは最後の10番目に歌うことになっていた。女声は浴衣、男声は作務衣姿で、片手にうちわを持っての登場である。
その(おそらく)オリエンタルな登場の様子に、観客は敏感に反応してくれた。「どんな音を出すの??」という問いが聞こえてきそうなほどの待ち遠しげな雰囲気と拍手。歓迎の気持ちが、Evergreenの歌いたいという思いに共鳴して、嵐のように目の前を舞った。歌ったのは、信長貴富氏編曲の「さくら」。Evergreenと観客の間にさくらの花びらがはらはらと散り、光を受けて輝いていた。
歌い終えると、日本という異文化をまっすぐに受け入れてくれた合唱人たちの大きな拍手に包まれた。日本人であることが誇らしい。大きな喜びを感じるとともに、海外の合唱人たちの異文化に対する寛容さに感心した。
「あぁ、この国に日本を伝えるには俺の片言英語じゃあなくていいんじゃ。今はみんなと音楽ができるけぇなぁ!それを出し切って現地の人と何かを分かち合えた事が幸せじゃぁ。」
これは、ある団員の言葉だ。少しばかり方言がまじっているが、それもひっくるめて引用させてもらった。この率直さが、このときのEvergreenの思いをそのまま表していると思う。
見え方が変わった旧市街
演奏終了後、少しの間、街を歩く時間があった。街は、Evergreenにとって「居場所」に変わっていた。歌いに来たという自覚が生んだ、地に足がついたような感覚は、街を近しいものに見せる。それは、自分たちが街を受け入れる感覚であると同時に、街がEvergreenを受け入れる感覚でもあった。
日本でなくとも自分の居場所を感じ取ることができるのだという発見は、Evergreenを強くしたと思う。帰国後2ヶ月以上たった今、私は、仁階堂先生の「海を越えた遠い国で、自分と同じように歌をうたう仲間がいるのだという感覚があれば、帰国してからどんなに苦しいことに出会っても乗り越えていけるのだ」という言葉をしみじみと感じている。