27日(日)
パルヌ・リーガへ
目が覚めると、まだ頭の芯が熱かった。コンクールの余韻がしっかり浸透して、自分を構成する要素のひとつになっている感覚だ。この日、Evergreenはしばらくの間タリンを離れることになっていた。エストニアの南方の都市パルヌにあるエリザベート教会にて、ミサの前に歌わせていただき、さらにその後、国境を越えてラトヴィアの首都リーガへと向かうのである。長い長い一日の始まりだった。
パルヌへ出発するにあたって、先に帰国するふたりの仲間に別れを告げなければならなかった。素晴らしい思いを共有した仲間であるだけに、別れが名残惜しい。お互いに、見えなくなるまで手を振っていた。
パルヌ〜教会で歌う
その後、忘れ物があってバスが引き返すというハプニングも笑って吹き飛ばしながら、Evergreenを乗せたバスがパルヌに向かう。エリザベート教会に到着してからは、その厳かな雰囲気を感じてか、団内が静かな雰囲気になった。教会では、宗教曲と日本の曲を数曲歌った。教会から醸し出る厳かな雰囲気とは対照的な、聴衆のなごやかな微笑に、Evergreenはとても温かい心地がした。団長の曲紹介も、回を重ねるごとに饒舌になった。この場所で感じたのは、日本からはるばる来たEvergreenに対する聴衆の優しさだ。それは、しかも、疲れを忘れるような温かさだった。
ヤンネさんのお話
パルヌからリーガへ移動するバスのなかで、ヤンネさんから、一生忘れられないであろうお話を聞いた。それは、エストニアの独立運動の話だ。ヤンネさんが実体験を通して語ってくれたことで、エストニアのソ連占領時代の苦しみが、肌にひしひしと伝わってきた。何万もの人が「歌の広場」に集い、禁止されていた祖国の歌を歌った日、「あの日のことは忘れられません」と、ヤンネさんは言った。この言葉の静かな激しさ、強さが、胸を打ったまま、今も心のうちにある。
リーガ到着〜Juventusとのジョイントコンサート
国境を越え、ラトヴィアの首都リーガに到着。ホテル「ラトヴィヤ」にチェックインした。いよいよ、ラトヴィア大学混声合唱団Juventusとのジョイントコンサートだ。これを最後に、Evergreenの合唱団としての演奏日程は全て終了することになっていた。顔に表れ始めた疲れの気配に抵抗するべく、自らにむち打ちながら、大学のホールへ向かう。到着するとすぐリハーサルが始まったが、なんとなく落ち着かないままにリハーサルを終えてしまった感があった。Juventusが登場して合同曲を練習し始めてからも、どこかよそよそしい感じが残っていた。Evergreenの団員たちは、このとき、相当の疲れを感じていただろう。それでも、それを見せまいとして、精神力を研ぎすましていたように思うのだ。
どうなることかと思ったコンサートは、本番になるとその雰囲気をがらりと変えた。これは、Juventusの響きが、リハーサルと本番とでがらりと変わったことに起因するかもしれない。その変わりように、Evergreenもはっとする。自然に気合が増していった。聴衆が少ないながら、緊張感のあるステージが繰り広げられた。Evergreenは、今回の旅行の中で一番多くの曲を歌う。体力的な疲れがあり、みんなが最高の音を出し切れないなかで、日本の音を伝えようと一生懸命だった。
その気持ちが響いたのだろう。日本の曲「ほたるこい」「斎太郎節」「塩道長浜節」「てぃんさぐぬ花」などを歌ったときのJuventusの盛り上がりに、疲れも忘れるほど楽しくなった。その楽しさは、沖縄民謡「谷茶前」「唐船ドーイ」で最高潮となる。特に「唐船ドーイ」では、エンディングの踊りを繰り返してホール内を駆け回り、最後には、JuventusとEvergreenが一緒になって踊ることになったのだ。この楽しさは、あとの合同曲にも大きく影響したと思う。Evergreenは、Juventusの豊かな響きを後ろに感じながら、日本の曲「さくら」とラトヴィアの民謡「Put vejini」を歌った。このときの感覚を、一体感といわずして何というだろう。
Juventusメンバーとの親睦会
コンサート終了後には、Juventusが親睦会を開いてくれた。ワインにおつまみ、お菓子などを片手に、交流を深めた。はじめは少しとまどいつつも、徐々に緊張がほぐれ、なごやかな雰囲気になっていった。お互いの言葉がわからず、片言英語になりながらも、プレゼントをしあったり、お互いの国のゲームを教えあったり、楽しくてたまらない様子だ。合唱人として、楽しさが高じると、出てくるのはやはり歌なのだろう。Juventusが歌い出したのをきっかけに、互いに歌いあい、楽しさを確認し合った。このときに歌った「てぃんさぐぬ花」は、Evergreenにとって、今までで一番心のこもったあたたかい演奏であり、日本人としての誇りにあふれていた。このときから、「てぃんさぐぬ花」は、このエストニア旅行のなかで特別な歌となり、かつEvergreenにとって大切な歌となったのだ。
Juventusとの別れを惜しみながらホテルに帰る途中も、Evergreenは、「てぃんさぐぬ花」や「谷茶前」を歌い続けては盛り上がった。道すがら歌うということも、日本ではなかなかできないだろう。Evergreenは、疲れているということなどとうの昔に忘れてしまったかのように、大合唱を続けた。
ラトヴィアの夜
この日の夜の騒ぎようは凄まじいものだったと言える。ホテルのバーで、その後は一つの部屋に集まって、各々が心ゆくまで楽しんだ。一人抜け二人抜け、最後まで抜けなかった者たちは、次の日の朝、ふらふらになって自分の部屋に帰っていった。