28日(月)
リーガ観光
リーガでの午前中は自由時間にあたっていたので、各々が好きなように過ごした。後から他の団員に聞いてまわったところ、観光を楽しむ者あり、さらに酒をあおる者あり、睡眠をむさぼる者あり、という様子だったようだ。このあいだに、仲間が一人帰国の途についた。「この日まで無理して残ることにしてよかった」と言っていたのが印象に残っている。集合時間になって集まったときには、団員たちの、疲れながらもすっきりした顔を見ることができた。演奏の全過程を終え、残るは観光ばかりだ。
パルヌ〜コーヒーブレーク
行きと同じように、リーガからバスでパルヌに向かった。パルヌの旧いお屋敷を喫茶店にした「Ammende Villa」にて、コーヒーブレイク。用意された甘いお菓子を、おいしいコーヒーや紅茶とともにいただいた。とても古く、美しい屋敷であるばかりでなく、ビリヤード台などもあって、みんなを楽しませた。ただ、そのビリヤード台は日本人にはちょっと腰の位置が高すぎたようで、何となく寂しい思いをした。疲れも何のその、団員の元気に遊ぶ姿が、そこにあった。
あこがれの歌の広場
パルヌからタリンへ戻る途中で、しとしとと雨が降り始めた。エストニアには多いという雨のなか、Evergreenは、ヤンネさんに案内してもらって「歌の広場」を訪れた。そこでは、5年に一度、エストニア最大級のイベントである「歌の祭典」が行われる。広い広い野外音楽堂に、数十万もの人が集まり、合唱する。自然に、ヤンネさんのお話を思い出した。ヤンネさんの思いを想像しながら、少し緊張した気持ちで広場を歩いた。Evergreenは、「歌の祭典」に思いを馳せつつ、「Mu isamaa on mimu arm」を歌った。歌を聴いて喜ぶヤンネさんの様子に、エストニアの人々の誇り高さを少しでも感じ取ることができたように思う。広場で写真を撮った後、バスまで戻る競走をした。団員たちの元気は、もはや底なしのようだ。
エストニア最後の夜
ホテルに戻ったあとは、タリンでの最後の夕食だ。ホテルの夕食はとてもおいしかった。疲れと充足感のまじったゆるやかな雰囲気のなか、それぞれのテーブルでなごやかな会話が繰り広げられた。
二次会は、ヤンネさんの行きつけのお店で飲むことになり、ヤンネさんに連れて行ってもらった。ヤンネさんと過ごせる夜も、この日限りだ。Evergreenは、用意してきた日本のお土産に、みんなで書いたメッセージ入りの扇子を添えてプレゼントした。そこには、ヤンネさんへの感謝の思いが込められていた。このとき初めて、Evergreenは、それまで穏やかな顔をしていたヤンネさんが泣く姿を見た。泣き笑いのヤンネさんの顔に、Evergreenは、自分たちの思いが通じたことを知った。同時に、ヤンネさんの気持ちが痛いほど伝わってきた。
そんな二次会からの帰り道は、またもや歩きながらの大合唱だ。でも今度は、ただ嬉しさだけを感じているのではなかった。もうすぐそこに来ているヤンネさんとの別れ、エストニアとの別れに、Evergreenの心は今までにない寂しさを含んでいたのだ。ヤンネさんに贈る「てぃんさぐぬ花」を歌いながら、みんなの足は自然にとまった。そしてヤンネさんを囲み、輪になって歌いつづけた。ヤンネさんはまた涙を流し、Evergreenはその涙に応えるように高らかに歌いあげた。この素晴らしい経験は、日本にいたままでは決して在り得なかったに違いない。Evergreenにとって、「てぃんさぐぬ花」の優しいイメージは、そのままヤンネさんのイメージなのだ。歌うたびに思い出す、優しい記憶なのだ。
エストニア最後の夜・その2
…この後のうってかわったホテルでの盛り上がり様は、ここではお伝えしない。ただ、その光景の異様であったことだけは確かだ。これこそ知るひとぞ知る、不思議な場だった…。