29日(火)

ヤンネさんとの別れ

とうとう帰国の日がきた。名残惜しくてしょうがない気持ちをおさえて、タリンの空港に向かう。ヤンネさんが、空港まで見送りに来てくれた。本当の別れを前に、ここでも自然に「てぃんさぐぬ花」が始まる。ヤンネさんも、また泣いていた。このときにヤンネさんが流した涙を、私は一生忘れないだろう。私の中には、自分の目で見ただけでなく、ヤンネさんを通して見たエストニアがある。これは、Evergreenにとっても同じだと思う。Evergreenのエストニア旅行は、ヤンネさんに迎えられて始まり、ヤンネさんに見送られて終わったといっても過言ではないのだから。

ヤンネさんとの別れの挨拶を一人一人すませてから、Evergreenは飛行場へ向かって歩き出した。ヤンネさんは、飛行場に向かうドアに消えていく一人一人に大きく手を振りつづけてくれた。一枚のドアの向こうにまだヤンネさんがいるのに、と思うと、別れが名残惜しくてたまらない。そんな心のまま、タリンを発った。

とうとう最終日をむかえ、エストニアを旅立つ日がやってきてしまいました・・・ヤンネさんは、私たちを見送りにタリン空港まで来てくれました。
空港に着くと、ここでもヤンネさんを囲み「てぃんさぐぬ花」を歌いました。歌っている間、この旅でヤンネさんと過ごしたいろんな思い出がかけめぐりました。ヤンネさんの温かくて優しい笑顔、「てぃんさぐぬ花」を聴いて流したヤンネさんの涙を、私は一生忘れないと思う。
歌い終わると一人一人ヤンネさんと握手し、別れの挨拶をして飛行場へ・・・別れが惜しくて、みんな何度も振り返りヤンネさんに手を振り続けていました。ヤンネさんもまた、私たちが見えなくなるまで手を振り続けてくれました。
この空港でヤンネさんに迎えられて始まったEvergreenの旅は、ヤンネさんのおかげで充実した日々を過ごす事ができました。本当に、言葉では表せないほど感謝の気持ちでいっぱいです。

ヘルシンキ観光〜帰国

経由地点のヘルシンキでは、少しばかり自由行動の時間があった。昼食を食べて買い物をするなど、この場所では完全に観光気分だ。ある団員は、普段は穿かないと思われる目の覚めるような赤パン(赤いズボンのこと)を買って(買わされて)、他の団員の注目の的になったりした。海外ならではだろうか。

長い、夜の空旅を経て帰国すると、日本では30日水曜日の午前中だった。行くときはまだ肌寒かったのに、帰ってくると、もう湿気が出てきて暑く感じる。経由地点のヘルシンキがびっくりするほど寒かったせいか、厚着をしていたEvergreenは、電車に乗ると見た目に暑苦しい感じがした。日本に帰ってきた。

エストニア旅行は、終わったのだ。

8日間の演奏旅行を終えて

帰国後、EvergreenのMLに、怒涛のごとく団員みんなのメッセージが流れた。どれもみな、読むと温かい気持ちになれる。たくさんの思いがつまった言葉の集まりだ。

常に成長の途中である、途中でありたいと思っているEvergreenは、旅行を通じてたくさんのものを得た。ともすれば大変に思える海外演奏旅行だが、挑戦して本当によかったと思う。ヨーロッパでの響きを体験できたこと、様々な合唱団と交流できたこと、自国の音楽が身体の中にあることを確認できたこと、温かくて真剣な聴衆の前で歌えたこと、その他言葉では表現しきれないような、コンクールの結果以上の大きな経験を得ることができた。さらに、聴衆や大会関係者をはじめ、人の温かさというものを強く感じることのできる旅であった。音楽は共通言語なのだ。合唱を通して、さまざまな人と会話を重ねていき、さらにそこから、合唱をする意味を問いつづけていきたい。

そして、Evergreenはまた旅に出る。この旅に終わりはないだろう。今回の旅行が、Evergreenの進む道をより開いてくれたように、また新たな旅が、Evergreenをつくりあげていくのだ。

エストニアでの演奏旅行を終えて、日本に降り立ったとき、寂しさの一方でとても清々しい気持ちであったこと
を覚えています。
旅行の最初は、海外自体初めてという団員もいたし、コンクールに参加した唯一の日本の合唱団というプレッシャーみたいなものがあってか、どこか落ち着かないところがある感じがしました。オープニングセレモニーの「さくら」でのお客さんの温かい拍手が一つの転機だったように思います。エストニア人も日本人も、まだまだお互いのことをよく知らないはずですが、知らないからこそ、興味を持ち、真摯に耳を傾けてくれるんだということが、団員にもよく分かったのでしょう。以後の快進撃は、もはや改めてここで書くまでもありませんね。
ヤンネさんの存在も本当に大きいものでした。ヤンネさんのおかげで、英語もいまいち通じないこの国で、これといったトラブルもなく過ごすことができ、「アウェー」のプレッシャーを跳ね返すことにもつながったのだと思います。パルヌの人々、ラトヴィア大の皆さんも温かく我々を迎えてくれました。リガの夜があれだけ盛り上がったのも、彼らとの心地よい交流があってこそでしょう。
エストニア・ラトヴィアの人たちと接していて感じたのは、彼らはみんな自国の文化への誇りみたいなものを持っていて、しかも他の文化にも強い関心を持つ、ということです。異なる文化同士は衝突するもんだと思いがちだが、そう単純ではないのですね。日本の文化に関心を寄せてくれる人たちが、遠いヨーロッパの地にたくさんいるのです。日本もまだまだ捨てたもんじゃありません。きっと団員も多かれ少なかれ、誇らしい気持ちになったのではないでしょうか。
私も同様で、ヤンネさんたちとのお別れはさみしかったけど、また日本で頑張るぞ!という気持ちになりました。きっとエストニア・ラトヴィアの人たちも、「次はおまえら何見せてくれるんだ?」と期待していることでしょう。だから冒頭に書いたとおり、未練のない、清々しい気持ちになれたんだろうな、と今では思っています。