エストニア・ラトヴィア演奏旅行記
文責 いとう
(二重囲みの部分は各トピックについて団員が寄せてくれたエピソードです)
記憶をたどりながら書くのはとても楽しい作業でした。この旅行記を書く機会を与えてくださったことを感謝しています。願わくは、お読みになる全ての人に、旅行を終えたEvergreenと同じ思いをもっていただけますように。
はじめに〜
2年前の2001年の夏、宝塚国際室内合唱コンクールに参加した折、審査員を務めたヴェノ・ラウル氏から、「ぜひあなたたちに参加して欲しい」とパンフレットを渡されたのが今回の第8回国際合唱祭「Tallinn2003」参加のきっかけだった。Evergreenは以前にトルミスの民謡に取り組んだことがあり、エストニアの文化や慣習について、本を調べたり、留学生から話を聞いたりしていた。あのエストニアに行って、合唱祭に参加できるというのはなんと素晴らしいことだろうと、団員は皆胸を躍らせた。
テープ審査に受かった後は、エストニアの旅行社BaltoScandia Toursのアイメ氏と何度も連絡を取って旅行の詳細を決めていった。また、大阪のマック株式会社の呉橋氏には、航空券の他にも、資料を貸していただいたり、いろいろと相談に乗っていただいたりして、大変お世話になった。この場を借りて、この旅行をサポートしてくれた、全ての人にお礼を言わせていただきたい。
かくして、夢であった合唱祭参加が現実のものと近づいてくると、海外の人々と音楽を通じて触れ合うということはどんなものなのだろうと、期待は膨らむばかりであった。そして、実際に体験してみると、期待していたよりはるかにかけがえのない、多くのものを得ることができたように思う。
エストニアはバルト三国の一国で、一番北に位置する。10年余り前にソ連から独立。30万もの人が「歌の広場」に集い、祖国を取り戻さんとして、当時ソ連から禁止されていた祖国の歌「Mu isamaa on minu arm」を歌って互いの結束を深めたという(当時の様子は、NHKの「わが祖国、わが愛」という番組で放映された)。この独立運動は、運動の中で「歌」が大きな役割を果たしたことから、「歌の革命」と呼ばれている。そのようなエストニアの誇り高さと力強さを、Evergreenはこの旅行を通して肌で感じるようになるのだが、それについてはもう少しあとに述べたい。